【精神】人は関心を捨てるほど楽になる【仏教】

(Photo by Shwetha Shankar on Unsplash)

人間はすぐに退屈するし、やたらとなんにでも関心を向けたがり、やたらと集め、所有し続けようとします。

人間には自分がそうすることが重要で大事なことに感じられているのですが、実際にはそんなに大事なことは多くはありません。

人間にとっての心の楽さはむしろ、そのようなものを捨て去ってしまったところにあります。

人は関心を捨てるほど楽になる

関心を持つことの苦しみ

人間にとっては何かに関心を向け続けることは、たとえそれが好きなものであっても苦しみになっていきます。

「私はこれをしなければならない」、「私はこれを見なければならない」、「私はこれを学ばなければならない」、そういった全てが重荷になっていくのです。

そうしている人にはそれが大事で意義があることに感じられるのですが、本当に大事なことはそんなに多くはありません。

しかし、そのような気持ちによって、さして興味もないもの、いらないものを抱えこみすぎてしまいます。

そして心は疲弊し、関心の中でがんじがらめになっていき、惰性によって維持されている習慣の中ではつらつとした心は失われていくのです。

関心を捨てることの楽さ

関心を捨てると人は楽な気持ちになります。

実際これは誰でもなにかしら経験があることだと思います。

ずっとしていた何かをやめたとき、集めていたものを手放したとき、清々した気持ちになり、心には解放感があるのです。

自分が好きだと思っていたもの、見たくて見ていたはずのものでも、いざそれに対する関心を捨てると、それが自分に喜びを与えるよりもむしろ、自分の重荷になっていたことに気づくのです。

「見なければならない」「これに興味を持っていなければならない」というものに対して「もうそれに関心を向けなくていい」というとき、自由があります。

捨て去ること、自分に「しないこと」を許すことは心を楽にします。

ブッダのことば「荷物を投げ捨てることは楽しい」

重い荷物を捨てたあとには、荷物をさらに引き受けるな。荷物を引き受けることは最上の苦しみである。荷物を投げすてることは楽しい。

出典:ブッダの真理のことば・感興のことば (岩波文庫) 中村 元 訳

これは「ブッダの真理のことば・感興のことば」からの引用ですが、関心を捨てるとは正にこの「荷物を投げ捨てること」だと感じます。

本質的には仏教が説いているのは、このような関心、いわばとらわれているものを捨てることにあるのだと思います。

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